病気

2012年8月 6日 (月)

覚せい剤

覚せい剤

覚せい剤を辞書で引くと「中枢神経系を興奮させ眠気を抑える薬。塩酸メタンフェタミン(ヒ

ロポン)・硫酸アンフェミンなど。常用すると習慣性となり中毒をおこす」とある。

近年タレントなどが常用して不祥事件をおこし、世間を騒がしている。しかもこの傾向は、若

年にも広まり、社会問題となっている。

われわれの学生時代にも覚せい剤の使用が蔓延していた。

学生会館に同じ大学で専攻科の違う沖縄の留学生がいた。当時沖縄は米国の統治下にあ

った。あるとき彼の部屋に行くと気分がスッキリするからと「覚せい剤」の注射を勧められ

たが、臆病な私は辞退した。以後注射を勧めることはなかった。

後で聞くと彼は、覚せい剤(ヒロポン)の中毒になり、一年休学して沖縄へ帰り治療して復学

し無事大学を卒業し沖縄で就職し、上京の際私を訪ねてきた。

今になっても私が臆病で覚せい剤を打たなくてよかったと思っている。

覚せい剤患者の悪い癖で、常人に覚せい剤を勧めることである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月15日 (金)

紙パンツ

紙パンツ

今回は尾籠な話をする。昨年十一月普段はは快便なのに食べ合わせが悪かったのか便

になり、街のドラックストアーから漢方便秘薬を買い、最小の二錠を飲むも効かず、さら

に三錠にするも効かず、四錠ににすると下痢が止まず。何日も下痢が続きその都度トイレ

に駆け込んでいた。一週間ほどして快便になってやれ一安心と安堵したが、その後小便

の垂れ流しとなり、街のドラッグストアーから紙パンツ(紙おむつ)買いこみ急場をしのいだ。

紙パンツは一袋20着分を二三日で使い尽くすほどであった。

紙パンツでは面白いことを経験した。紙パンツはドラッグストアーで一袋千四百五十円で、

くのスーパーでは紙パンツ一袋千五百五十円であった。ドラックストアーは駐車場がな

いためバス利用しなければならず、スーパーは自家用車で行ける。そこで最寄りのスー

パーは百円いが時々利用した。小便の垂れ流しは、年を明けても続いた。

するとドラッグストアーは百円値上げをしたのに対しスーパー一挙に五百円の値上げであ

る。紙パンツを買い続けたため紙価を高めたといえる。

通いつけの泌尿器科の医者に相談すると「おかしいなーしばらく様子を見れば治まるだろ

う」とのことであった。また通院中の内科クリニックの医師に相談すると、「小便の垂れ流し

は即日やめて、事前、事前にトイレに通うように」と指示された。

事前にトイレに駆け込む習慣をつけたところあれほどひどかった小便の垂れ流しは

ピタッと止まった。あれほど苦しんだことがうそのようであった。しかし三か月自業自得で苦

しめられた。

便秘薬の効用書きをよく見ると、錠剤を呑んで翌日になれば快便となると書いてあった。

急がば回れで効用書きをよく読まなければいけないと反省した次第である。

紙パンツは非常に便利に使わせてもらった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月 6日 (火)

生薬屋-きぐすりや

生薬屋

現在の薬屋を昔は生薬屋(きぐすりや)と読んだ。辞書を引いてみると

 1.生薬(きぐすり)を売る店。漢方薬の店。

 2.転じて売薬店。薬舗。薬種屋。

と書かれている。

生薬(ぐすり)を引くと薬草のまだ刻まず、調剤してない漢方薬。しょうやく。

とある。

昔の生薬屋には、瓶や缶に入った売薬と漢方薬が置いてあった。

売薬ではワセリンなど缶に詰めて呉れて売っていたし、時には薬を調合して包み紙に入れて畳んでくれた。

また漢方薬では「げんのしょうこ」「どくだみ」のような野原に生えている薬草を乾燥させて売っていたり、サフランとか乾燥した「みみず」も売っていた。

小学生の頃「扁桃腺」を腫らして月に一回ぐらい熱を出していたが、初めのうちは解熱剤として「アスピリン」を服用させたお袋が、「アスピリン」は副作用があると聞いて以後は、熱が出ると生薬屋から乾燥した「みみず」を買ってきて「やかん」か土瓶に水を入れ、そこへ「みみず」を少々入れて沸騰させ、それを茶碗に汲んで飲ませてくれた。するとしばらくして汗をびっしょりかいて高かった熱が嘘のように下がって回復した。

それにつけても思い出すのは、講談本で村井長安という「やぶ医者」が患者から高額の金銭をせしめ、家の庭の「みみず」を獲って乾燥させて渡すと患者が全快したと云う話である。

また製薬会社製の薬が出回る前「やぶ医者が」、薬を調合していた頃薬に重曹混ぜて渡すと病人が全快したと云う話が世間を賑わしていた。

重層は別名重炭酸ソーダと呼ぶ。今朝のNHKのテレビは「重曹の効用」について話をしていた。

重曹は汚れを落とす洗剤として使えるばかりでなく、汗のにおいを消す消臭効果から湯上りのほてりを防ぐ効果、スポーツドリンクとしても使え、赤ちゃんのパウダーとしても使えるとか。子供の頃は小麦粉に混ぜてパンを焼くか、小麦粉の膨らましの効果に利用していた。

そう言えば小学生の頃学校で理科の時間に先生が「ラムネ」之から瓶を持って来てそこへ重曹と砂糖と水を入れて「ラムネ」を作らせて飲ませてくれたことがあった。

「ラムネ」はドイツ語読みで英語読みだと「レモネード」である。これと同じ読み方に「ラジオ」がある。「ラジオ」はドイツ語読みで英語読みでは「レィディオ」即ち無線である。

人名でも大森貝塚を発見した東大教授は「モース」であり、ツートン、ツートンのモールス発信器を発明したのは「モールス」でいずれも英語読みか、ドイツ語読みかの違いで二人は従兄弟同志であった。

重曹は薬用、一般用と工業用に分けられていて薬用に最も使われているそうである。

また重層は、岩塩から生成されると云うのは驚きであった。しかし冷静に考えれば重層はNHCO3であるから食塩を伝は分解し炭酸H2Co3を混ぜれば出来ることは自明の理であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月12日 (金)

命の儚さを知る

命の儚さ

学生時代名古屋の学生会館で寝起きしていた。当時学生会館は、お城の中の旧六連隊の兵舎の二棟を男子寮に一棟を女子寮として名古屋市内の学生たちの宿舎として使い、他の兵舎は名古屋大学の法学部と文学部が使っていた。お城の外の兵舎は、国立病院の病棟であった。

或る時一級下の同僚が、「明日海水浴に行かないか」と誘い男性ばかりでは面白くないとその男が、女子寮の昼間は名古屋市役所に勤め夜間の市立か県立短大の女子大生を誘ってきた。女子大生は「明日は市役所に勤める人々がバス旅行で乗鞍へ行くので股の機会に誘ってほしい」と断られてしまった。翌日は雨模様であったので我々の海水浴は中止した。

夕方街の食堂でテレビを見ていると、市役所のバス旅行で乗鞍へ向かったバスが転落して一名死亡したと云うニュースであった。その一名の死亡があの女子大生であった。

人の運命は分らぬもので我々がもっと強硬に誘ったら難をまぬかれたかも知れなかった。命の儚さを知った。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年3月10日 (水)

年は取りたくないもの

年は取りたくないもの

三月四日の朝ゴミを捨てに出て玄関の前の僅か二三センチメートルの段差につまず いF10000028_2 F100000167_3 てよろよろけ若ければ形勢を立ち直すところだが、年をとるとままならずそのまま五メートルほど離れた共同のゴミ捨て場まで飛ばされそうになりあわてて前につんのめったが、無様にも右手はのばし左手は下げF1000003345_3 た形でうつぶせに倒れた。その時左足の膝小僧をすりむきささくれ立ったようになり、右手のくるぶしは強く打ちしばらく起き上がれなかった。たまたま通りがかりの男性に助けられて起き上がったが、しばし歩けずに立ちつくしてしまった。ようやくの思いで家に入ったが、その晩はあっちこっち痛みF10000041011_2 更に足の膝(ひざ)と右ひじが傷んでよく使えず、しかも腹部が傷んでおきあがるのに一苦労した。日が経つにつれて序序に回復し現在は何とP40300141617 か起き上がれるようになった。徒(いたずら)に馬齢(ばれい)年は取りたくないものである。足が弱くなったと三国志の玄徳(げんとく)ではないが、脾肉の嘆(ひにくのたん)を嘆いた次第である。

人だけでなく大木とても同じこと今日のニュースによれば昨夜の大風で鶴ヶ岡八幡宮の大銀杏の木が根元からひっくりくりかえり破壊されてしまったという。小学唱歌「鎌倉」に「上るや石のきざはしの、左に高い大銀杏(いちょう)、問はばや遠き世世のあと」と歌われ実朝が甥公暁に殺された銀杏の木としても有名な樹であった。

諸行無情と云うべきか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年2月23日 (火)

白内障と保険

白内障

昨日左眼の白内障を手術して一泊で退院して帰った。

右眼は数年前目に虫が二三羽飛んで来たので病院の眼科で二か月くらい待ってから前日に入院し翌日手術をしてその明くる日に退院した。当時は手術で失明するかもしれないと説かれ失明におびえながらおっかなびっくり手術を受けた。そのため手術について殆ど覚えていない。ただ「目は近くが見える方がよいか遠くを見える方がよいか」と聞かれ「近くを見える方」と答えた。そのせいかこの年になってもメガネをかけなくても新聞も本も読める。目は乱視が有るため長距離の運転ではメガネをかけるが近くの外出にはサングラスで代用している。

左目の裸眼がよく見えるため不自由はしなかった。しかしここえ来て左目がかすむようになって眼科にかかり即日一週間弱後に空きがあるから入院手術に決定し、当日入院手術翌日退院となった。

日帰り手術クリニックもあるようだが、或る女性が幾ら名医と云っても即日手術でもう通院しなくてもよいと言われ経過も見てもらえず心配でここえ来たと言っていた。どの過ぎた医者だ。患者の心無視している。

数年の歳月は入院も一泊ヘリ手術も落ち着いて観察できた。先ず病室から車椅子で手術室前で前の患者と交代に手術室へ入り手術台に横たわり血圧計、心電図を装着し手術台を上げ準備て眼鏡の位置合わせをして準備OK。

次に眉、目の周りを三回消毒しその間眼球は水洗いする。目の前に布をかぶせ手術する左眼の布は孔があいていて布を捲ると目が見え手術を開始する。眼鏡は眩しいがそのうちに目がかすんでくる。急に眼鏡の明かりがはっきりしたと思ったら眼球を入れて手術が終わったと知らされ眼帯を付けて手術台を下ろし血圧計、心電図を外し,台から降りて車椅子で部屋に運ばれる。

翌日眼帯がとれて目薬をを点眼され家での投薬、点眼の注意を受けて退院。

左眼はやや遠くを見えるようお願いしたので遠近両方見えるようえるようになるだろう。

医学も進歩したものだ。恩恵にあずかって感謝感謝。

保険

保険は嫌いでちょっとした保険に入っていたが、満期となり「しばらくして「ガン」保険に入ったが「ガン」になりそうもなくただの生命保険に切り替えた。

その時の書類審査で高血圧は投薬中。(138から84位)

糖尿病の気が有って食事療法中と正しく申請し許可になり毎月銀行から差し引きになった。

その後白内障の手術をした右眼が眼底出血でレーザー治療をうけた。眼科の先生が親切にこれも保険がきくから申請してはと云われスケベ根性を起こし申請したところ糖尿病による白内障で眼底出血と云う診断で内科の医者は当時糖尿病とは診断せず薬の投与もないのに眼科の医者が糖尿病による***と云う理由で支払い停止と通告してきた。保険会社も入る時はよしよしで料金を取り支払は難癖を付けて中止と。

その後も同じ保険会社から何度も何度も勧誘があるが無回答である。

この年になると高額な保険料を取払うよりその分預金して健康保険を使って差額を支払う方が安上がりと悟った。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2010年2月14日 (日)

痴呆症

痴呆症

有吉佐和子の痴呆症を取り上げた小説「恍惚の人」を目にした時はなす言葉もなかった。最近は周りからも痴呆症の話が出るようになった。

県の福祉作文コンクールの中学生の部で優秀賞とった女子中学生の作文を読んで感激した。

要約をすると「突然交番から祖父を預かっていると電話が来た。家族は訳もわからず交番に駆けつけると、交番の椅子にちょこんとすわっている祖父が小さく見えた。祖父は仕事一筋で家には専門書が山積みされ、慣れないパソコンも本をみながら使えるようになった。語学も堪能で種々の国からのホームステイとの会話はカッコ良く驚きだった。いつも元気でやさしい祖父がどうして***

祖父は入院して「痴呆症」と診断され家族も落ち込み母は泣いたが、祖母はもっとつらかったであろう。祖父を出来るだけ一人にせずテレビも一緒に見たり、ゲームをしたりそばにだれかは居るようにした。祖母、父、母、妹、私も出来ることはしたが、想像以上に大変だった。祖父の機嫌が悪い時はどう接するか困った。その時は祖父の機嫌がよい時のことを考えて接した。病院や買い物、散歩につねに一諸の祖母はさらに大変だ。誰よりも大変な祖母は頑張っていてすごいと思う。認知症は直らない病気だそうだが進行を遅らせて祖父と一緒に過ごしたい」「ジジ楽しくやろうね。長生きしてね」で結んでいる。家族上げての看病、しかも家族を思いやる心、中々しっかりした作文で涙なくしては読めなかった。

艱難なんじを玉にす。である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)