日記・コラム・つぶやき

2010年9月20日 (月)

祭りだワイッショ、ワイショ

祭りだ

昨日は町で祭りの神輿を見た。神輿の掛け声は昔は「ワイッショ、ワイッショ!」であっ

たが、最近は浅草の千社祭り祭りをはじめ「セヤ、セヤ!」とか「ソヤ、ソヤ!」とかいうようになってしまった。

神輿の掛け声は北原白秋の詩にもあるように「ワイッショ、ワイッショ!」であり、美空ひ

ばりの歌でも「祭りだ、祭りだ! ワイッショ、ワイッショ!」である。

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2010年9月15日 (水)

詐欺に引っかかった!

詐欺

自分だけは詐欺に騙されないと思っていたが、買い物の帰りバスターミナルのいつ

も乗車するバス停の階段を下りる直前に、階段を上ってきた男がなれなれしく声を

かけて来た。「病院へは行っていないのですか。しばらくぶりて***」と。そこで病院

の知り合いかとはや合点した。しかも以前入院した病院も知っている。

「話は変わるが、高島屋からローレックスを買ったら二個搬送され文句を言うと高島

の手を離れると搬送会社の責任になる。そこで搬送会社の所長が詫びの電話を

かけてきてこれから返しに行くところだ」と。それがいつの間にか「一個上げる」と言

ってポケットの中へ時計を入れてしまった。返そうとするが腕をつかんで離さない。

正常に考えるとおかしい話だが、話し上手につられて、「大事に使ってください」と

言われ返すのをあきらめてしまった。

これは困ったことになったと思っていると「女友達と食事をするので食事代ても**

*」という。騙されてもともとと。一万円を差し出すと「大事に使って下さい」と言って去

って行った。階段の途中で時計を見るとローレックスどころか無名の名前でしかも

***IN CHINA と書かれていた。やられた! 大道で千円の時計だった。

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2010年9月 7日 (火)

猛暑

猛暑(真夏日、熱帯夜)

今年の猛暑は、すさまじくて毎日記録の更新である。今日のNHKのテレビ「あさいち

」では、民放の気象予報士が、珍しく登場して今年の異常気象(猛暑)は何千年来の

ので、この暑さを台風が日本を通過するまで続き、「熱さ寒さも彼岸までというが

彼岸を越して寒暑(10月8日)まで続くといっていた。

時々買い物の途中で家電量販店に立ち寄り、エヤコンの前に用意されている椅子F10000061415

に腰かけて一休みするとお盆)(一月遅れ)まではエヤコンを購入する

客でごった返していた。お盆中は一段落したが、お盆が過ぎるとまた

エヤコンの客が多くなった。最近でもちらほらお客が絶えない。

エヤコンは納入と工事期間がかかるので、手軽な窓かけ令風機を購

入する人が増えたようでいつの間にか品切れになっていた。

しかし私は最初取り付けたエヤコンを取り外してから家は昼夜窓を明け払ってエヤ

コン、扇風機なしで暮らしている。

私の生まれた田舎も真夏の日の当たる場所は熱いが、日陰は涼しくしかも夕立が

毎日やってきて気温を下げ、夜はしのぎやすかった。

しかし夕立はものすごく「ピカとしてしばらくしてゴロゴロ」と鳴るうちはよいが、家に

近ずくと「ピカとして間をおかずドスン」となるとさすがに怖かった。

こちらではほとんど夕立もなく、来ても遠雷が聞こえるぐらいであったが、先日何十

年ぶりかで「ピカ、ゴロゴロ」と大きな音がしたが間隔が長く少しも怖くなかった。

今日家電量販機によってエヤコンの陳列場を見ると、エヤコンの展示の下に納期

一か月、納期10月初旬、納期10月下旬、納期未定の表示が見られた。

最近は朝晩涼しくなったが、まだ家電量販店ではエヤコンコーナーにちらほら客が

いる。しかもエヤコンコーナーの隅にあった展示だなの展示品三棚半が完全に全

品売り切れていた。

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2010年9月 3日 (金)

友らは世を去りぬ

友らは世を去りぬ

「若き日早すぎ行きて、友らは皆世を去りて、彼方のよき地に眠り、はやも吾を呼ぶ、

オールド・ブラック・ジョウ、吾も行かんはや老いたれば、あの世楽し国へ、オールド・

ブラック・ジョウ」これはアメリカの民謡である。寄る年波をひしひしと感ずる。

この年になると、友の訃報が聞くことが多くなる。

昨日も中学、高校の同級生の訃報が持たされた。先日も中学、高校の同級生で同期

会の幹事をしている男の訃報に接したばかりである。よい男から去ってゆく。

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2010年7月 7日 (水)

そこっ者!

そこっ者

今日は「芭蕉の理論とその弟子たち」の講座の最終回のばかり早とちりをして講習会の会場の大学の校門をくぐって、受講者番号の入った名札を首からぶら下げて玄関へ向かって歩いていた。講座をま隔週の水曜日に行われていた。ところが今週だけは二週間間を置いた来週の水曜日が、講座の最終日であった。

玄関の方から下校して来たご婦人に呼び止められ、講座は来週に開かれる事をきずかされた。彼女も一週間間違えた口である。

類は友を呼ぶと云うことか。

昨夜パソコンで株価を検索する手持ちの端株の株価が\200であったので今日にでも信託銀行へ行って買い増し使用とおもい、今日の朝刊の株式嵐を見るとその銘柄の株価がやはり\200前後であった。

そこで講座もないので油を売ってから、信託銀行へ行き端株の買い増しを注文すると信託銀行の窓口の銀行員が「株券を預けている証券会社で注文するよう」にと言われた。

早速証券会社へ行き注文するとモニターを見て時価の株価は\470だと云う。

「今朝の朝刊も\200なのに」というと「\200は二年ほど前の価額だ」という答えであった。そこで注文を取り消して帰りパソコンを調べると他の銘柄であったらしい事が分かった。

また朝刊を見ると一字違いの他の銘柄の株価と判明した。

また株価が下がるまできながしばらく様子見ることにしよう。

今日は朝から早とちりをして「そこっ者」丸出しの失敗の連続であった。

用心、用心。

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2010年7月 3日 (土)

七 夕

七 夕

七夕を辞書で引くと「五節句の一つ。天の川の両岸にある牽牛星と織女星とが年に一度相会すると云う、七月七日の夜星を祭る年中行事。中国古来の風習と日本の神を待つ「たなばたつめ」の信仰が習合したものであろう。奈良時代から行われ、江戸時代に民間に広がってた。邸前に供物をし、葉竹立てて五色の短冊に歌や辞を書いて飾り付け、書道や裁縫の上達を祈る」とある。

七夕祭りは都会では七月七日に行うが田舎では一月遅れの八月七日に行う。

このような例は珍しくなく、正月は、新暦の一月一日に祝ったり旧暦の正月や小正月と云って旧暦の正月十五日、あるいは正月十四日から十六日を祝ったりする。

一月遅れでは雛祭りは三月三日を四月三日に祝ったり、端午の節句を五月五日でなく六月五日に祝い、お盆も七月十三日から十六日でなく八月十三日から十六日にしている。これも民間の知恵であろう。

私の小学生の頃は、八月七日の七夕は夏休みに入り、家で竹の小枝に短冊を付けるのに書道の下手な私は苦痛で何も書かずに短冊を付けた覚えがある。

成人してから初めて見た七夕祭りは、仙台の七夕である。

会社から東北大学選鉱精錬研究所へ超音波洗浄機をおさめに出張し、発信器が寄生振動を起こしとめることが出来ず、応援を待ていた時である。

時は仙台の七夕に遭遇し、繁華街で昼間中ビール飲んで七夕見物をしていた。日る日中ビールを飲むのは初めてで非常に罪悪感を感じたのを記憶している。

驚いたのは七夕飾りを始めている最中に、もう七夕を飾った絵ハガキが出て売っていることであった。

P707001314_2P70700033  P70700044 最近見た七夕祭りは、平塚でこれは七月初旬の土、日曜日を含む日で七月七日の七た。夕の日にはしまってしまうこともP70200088 P702001212 P70200044 あった。P702001817

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2010年7月 2日 (金)

路線バス路線変更

路線バス

今日は、病院へ検診のため通院する日に当たり路線バスに乗った。バスで終点のバス停留所より一つ手前の停留所付近から道路に車の渋滞が目立ってきた。

いつものことかとどんと構えていると、最後のバス停を超え道路を左折して十メートル行き右折してほぼ百メートル進むとぱバスターミナル之終点になる地点でJRの職員が運転手を呼び止め、線路の工事をしているので迂回するよう説得していた。道路の途中には二箇所ばかりバス会社の職員がバスを誘導していた。迂回の道路は普段路線バスが通らない場所で一二キロメートル直進し、そこから左折を繰り返してメーン道路に出てバスターミナルへ行く通路である。バス停通貨が一か所で住むところを少なくとも数か所余計に遠回りしたことになる。

このように路線バスが、路線以外の通路走るのに出会ったのは初めての経験で、時間のロスはあったが、なかなか趣のある出来事であった。

このおかげで病院の午前中の診察に間に合わなかったが、特別に診療してもらった。

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2010年6月30日 (水)

目覚ましト京

目覚まし時計

我が家で最も愛用している「目覚まし時計」が故障した。

時ならぬ時刻に目覚ましを設定もしてなく、しかもアラームは段にしているのにF1000003678 鳴りだした。あわててアラームを断にするが、もともと断であるので鳴りやむはずはない。

アラームの鍼を回すが変化なし。そこで電池を抜き取るも鳴りやまない。からの電池ボックスに手を突っ込むと鳴りやんだ。

そこで修理をとも考えたが近頃は修理代で新品が帰るので廃却野は個に入れ家電量販店に行き、現在使用中の目覚ましと同じ種類の時計を買って帰ってきた。

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2010年6月18日 (金)

しはしば、墓地購入勧誘の電話がかかってくる。我が家には、郷里のお寺にお墓があって、お墓の必要性を感じないのですぐ「結構です」と云ってことわっている。

お墓は作っても自己満足になるだけで、早晩無縁仏になってしまうのでその必要性は少ないとおもっている。

世の家系を見ても何代も直系の家系が続いた例は少ない。皇族でも有栖川宮家は絶え、昭和天皇の弟宮高松宮(有栖川宮の旧称)が、有栖川宮の祭祀を継承したがその高松宮も跡取りがおらず断絶してしい、墓守をする人がいなくなってしまった。

将軍徳川家も十五代続くも、四代で直系は絶え五代、六代は養子で、八代、十一代十四代、十五代と養子が続く。

このように養子を迎えて家の墓守が続いていた。しかし現在は貴族や金持ちなら養子が来るが、我々貧乏人にはどうかな。

昔穏やかな時代は、家長には招集令状がこなく、徴兵逃れに養子に行く人も多かったが現在は無理であろう。

私ごとになるが、息子は子供がいなく、息子の代で墓守はいなくなってしまう。

戦前佐竹所有の三十六歌仙という和歌の書かれた絵が売りに出され、三井の大番頭益田孝が音どを取って、三十六歌仙を一冊買う人は現れないだろうと一人づつに切り裂き、金持ちに売りつけた。

NHKばらばらの三十六歌仙は何枚残存しているか後をたどってみると、戦災を逃れて佐竹三十六歌仙は三十六人分の無のが判明した。そこでNHKではそれを本にまとめて発行した。本の発行前に秋田の佐竹の子孫を尋ねると佐竹の当主が「私には子供がいないので早晩我が家は耐えるでしょう」と言っていたが、本を発行した時には佐竹の当主は亡くなっていたと書いてあった。

名門佐竹家のことだからきっと養子が後を守って行くので有ろう。

昔お盆に墓参りした時、お袋が「隣のお墓は家が絶えて無縁仏になってしまった」と云って共に線香をたむけていたことを記憶している。

墓の必要性のない例として、徳川将軍家ゆかりのお墓は、上野の寛永寺、芝の増上寺、後楽園の伝通寺と各所にあったが、徳川家だけでは維持できなくなり芝の増上寺の徳川のお墓は整備縮小され、現在は東京タワーの一部になってしまった。

また鎌倉の光明寺の日向の内藤家のお墓は、光明寺の一角を占め林のように林立して名所として紹介されていたが、ある時蘇のお墓が取り払われていた。

理由は内藤家も維持しきれなくなり、日向の内藤家の菩提寺に移転したとの事であった。

なお光明寺は浄土宗の本山で、戦後三枝博音ら鎌倉文壇の文士たちが音頭を取って鎌倉アカデミアという自由大学(鎌倉大学校)を設立し光明寺で授業をしていたが、財政難で廃校になてしまった。

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2010年6月15日 (火)

梅雨入り

梅雨

半月ほど前にお沖縄は、梅雨入りした。その後も関東地区は晴れる日が続いていた。

三日ほど前に近畿・中部地区が梅雨入りした。間もなく関東地区も***と思っていたら昨日関東地区も梅雨入りだった。今年の梅雨入りは、例年より遅れていたようだ。

しかし今朝は、からりと晴れ上った天気だ。それにつけても思い出すのは、小学校の国語で習った「五月雨の晴れ間うれしく、野に立てばのは゛野は輝きて、白雲を通す陽陰に、はや夏の暑さをおぼゆ」という名文である。当時は五月雨と梅雨が同じものと知らずにいたが、五月雨を詠んた゛俳句・和歌は多いが思い。先ず思い出すのは、芭蕉の「五月雨を集めて早し最上川」の句であろう。

今日の晴天は夕方まで続かず夜からは雨のようだ。

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