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2010年8月31日 (火)

インド人

インド人

今朝のトレビで日本のインド人社会を紹介していた。中華街の中国人社会と西新宿

朝鮮人社会は有名であるが、第三番目に葛飾のインド人社会が成り立ちつつあ

るというものである。彼らインド人の多くは、東京丸の内の銀行・商社のITの一翼を

担っているというもので、以前のインド人の悩みは、言葉の問題と食住の問題であっ

たようだ。インド人はベジタリアン(菜食主義者)でどの食べ物に肉・魚・卵が入ってい

るか分からずに苦労したようである。また住居の問題も貸してくれる家主がおらず理

解して貸してくれる家主がいても保証人が見つからない苦労があったようだ。しかし

現在はこれらの悩みも解消し、インド料理の店もあり現在は日本人も来ていて盛況

ののようだ。また教育の問題も現在はインド系のインターナショナルスクールもあり

インド人の子弟の教育目的が今では日本人が六十五名在学しているという。

彼ら日本人の目的は、ITの勉強が出来ることと英語の勉強ができることににあるよ

うだ。以前見たテレビで、インドのITが盛んなのは、「インドでは身分制度によって就

ける職業が決まってしまうが、IT産業だけは、身分制度に関係なく誰でも才能があ

れば就けるので、IT産業が盛んだ」と聞いている。

なお葛飾区にインド人が多いのは、葛飾はJR、地下鉄いずれでも一本で20から30

分で都心に出れる交通の便にあるよだ。

戦時中インド独立の志士として、チャンドラボース、ビハリボースが有名であった。

ビハリボースは日本に亡命中新宿の中村屋の店主相馬黒主、黒光夫妻の娘婿とな

り中村屋で「カリーライス」を作っていた。戦後中村屋の「カリーライス」を食べたが市

販で五十円か百円のカレーが、中村屋では五六百円していた。相馬黒光は、中村

屋を芸術サロンとして開放し、芸術家のスポンサーとして君臨していた。

チャンドラボースは日本亡命中インドの独立に励み、あの悲惨なインパール作戦

は、チャンドラボースがインド独立のためにインド侵攻を進めたためといわれてい

る。インド独立の手法としてガンジーは「無抵抗主義」をかざし、チャンドラボースは

「力で」と違いはあるが、どちらもインド独立の志士に違いはない。

終戦の時チャンドラボースは、台湾からロシヤへ亡命しようとするが、航空機事故の

ため台湾沖で墜落して客死した。

十年前見たテレビでインドでは現在もガンジーとチャンドラボースは独立の志士とし

て尊敬されていするという。

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