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2010年8月 9日 (月)

桐生悠々

F100000212 桐生悠々

桐生悠々は元信濃毎日新聞の主筆で「関東防火大演習を嗤(わら)

う」という、陸軍の防空大演習批判する記事を信毎の社説に乗せ、

軍部の勘気に触れて、信毎を追われたジャーナリストである。

広辞苑によれば、桐生悠々は、「ジャーナリスト。本名、政次。金沢生

れ。東大卒。信濃毎日新聞主筆。雑誌「他山の石」を発刊し、軍部・戦争批判を続

る」とある。

昨日の日本経済新聞の桐生悠々の記事で桐生悠々の略歴は、大阪毎日新聞、朝

新聞などを経て信濃毎日新聞主筆に就任とある。

抵抗の新聞人桐生悠々が使った机は今も信濃毎日新聞の本社にある」という記事

で、「権力に敢然と立ち向かった記者がいたという誇らしい気持ちと、軍の圧力に負

けて彼を守りきれなかったジャーナリズム企業の敗北感の両面がある」という小坂

宗太郎専務の談話が乗っていた。

悠々が主筆時代信毎の「経営は編集に介入せず」の方針のもと、オーナーである小

坂順造社長と弟の武雄常務(のちに社長)は、悠々の社長批判の論説さえ容認して

いた。小坂専務は武雄常務の孫である。

昭和八年「関東防空大演習を嗤う」という社説が掲載された。数日前に行われた陸

軍の大演習を論じたもので、悠々は「敵機を関東の空、帝都の空に迎え撃つという

ことは、我が軍の敗北そのものである」「敵機は本の沿岸までに防がなければな

らず、本土に侵入を許せば東京は関東大震災と様に焼け野原になる」と警告し

た。以前から信毎の反軍的論調を快く思わなかっ軍関係者と地元の在郷軍人会

の幹部は信毎に乗り込み、不買運動を展開すると脅した。信毎存亡の危機に悠々

は社を去らざるを得なかった。

しかし悠々は退社の翌年個人雑誌「他山の石」を発行。二・二六事件の際は「だか

ら言ったではないか。早く軍部の妄動を諌めなければその害の及ぶところ測り知れ

い」と軍部を批判し続けた。軍部は発禁・削除処分で弾圧。太平洋戦争に突入す

三ヶ月前ついに「他山の石」は廃刊を余儀なくされ、「廃刊の辞」のを出したがこれ

も発禁となり発禁命令書は通夜の死の床にもたらされた。

蟋蟀(こおろぎ)は、鳴き続けたり、嵐の夜」東京・多磨霊園の悠々の墓の隣に自身

句碑が建っている。

悠々の死後四年で敗戦。焼け野原にたたずむ人々は、彼の予言の正しさと軍部が

指導した戦争の愚かさわ知った。と結んでいる。

私の元の職場の同僚に桐生某がいた。彼の自慢は、祖父が桐生悠々であることだ

った。

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