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2010年7月 1日 (木)

振袖火事

振袖火事

振袖火事は俗称で、事実は明暦の大火という。広辞苑には「明暦3年正月18から28日、江戸城本丸をはじめ市街の大部分を焼き払ったo火事。消失町数400町、死者10万余人、本郷丸山町の本妙寺で施餓鬼(せがき)に焼いた振袖が空中に舞い上がったのが原因と云われ、俗に振袖火事と称した。災害後本所回向院(えこういん)立てて死者の霊を弔った」と書かれている。

講談本によれば、「金持ちの娘が、町で見かけた反物を親にせがんで振袖にして貰うが、しばらくしてぶらぶら病にかかり、亡くなってしまう。それを悲しんだ両親が娘の供養にと振袖をお寺におさめる。お寺では其の振袖を古着屋に打ってしまう。たまたま金持ちの娘が其の振袖を見て親にせがんで買ってもらうが、しばらくしてぶらぶら病で亡くなっていしまう。両親はそれをお寺に納めるが、お寺は古着屋にうるが、それを見た金持ちの娘が其の振袖を買いまもなく亡くなる。三回も死人がでた振袖を本妙寺では、施餓鬼の日に火を付けて薬と広辞苑の記述の通り江戸城を焼き尽くす大惨事になってしまった」というものである。

作家の安西篤子は「何の不思議でもなく現代流に言えば振袖に結核菌が附着していたのであろう」と云っていた。

二十年ほど前のNHKの見解はこれと異なり、本妙寺の近く丸山町は安芸の国福山の藩主阿部家が最近まで住んでいた。

阿部家が江戸に甚大な被害をもたらしたので、本妙寺が身代わりになって罪をかぶったのではなかろうかというものである。

その証拠に本妙辞は本郷の土地を追われずに現在も其の場所にたている。しかも阿部家からは現在も付け届けがある。ということである。

振袖火事で本丸を焼かれた江戸城再建の話も出たが、二代将軍秀忠の隠し子で初代会津藩主の保科正之が「世の中も平和になたので城はいらない」と建案して江戸城の再建を留めている。

テレビの「暴れん坊将軍」徳川吉宗の活躍に江戸城(実は姫路城)出てくるが、吉宗の時代には江戸城本丸はない。

回向院は死者を弔うため大相撲を開催していた。今でも回向院の周りには相撲部屋が多く建っている。

回向院の境内には、歴代横綱の氏名を刻んだ記念碑が建っている。

余談であるが「ねづみ小僧次郎吉の墓もある。

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