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2010年7月 6日 (火)

支那事変-日中戦争

支那事変

陰暦7月7日は七夕である。昭和12年7月7日支那地大陸で蒋介石の許可を得て、日本陸軍が大演習をしていすた。その時支那軍から一発の次発砲があって以前から険悪ムードにあった日支関係に火がっいた。これが゛支那事変であると教えられてきた。しかしこれは一方的に日本側の説明であり、発砲は支那軍からか日本軍からか分らないと思っていた。

先年独協大学の教授の講演を聞き、支那軍からの発砲でなく、毛沢東・周恩来の中国共産党(中共)発砲したものと知った次第である。

それは当時の中京軍は、モスコーのコミンテルン(第三インターナショナル)命令下にあり、コミンテルンが日本と戦時体制に入るよう命令し、その証拠の文面も残っているそうだ。これで今までの疑問が解消した。

中京軍に仕掛けられた戦争に日本軍がまんまとはまってしまったことになる。

その何年か前に蒋介石の国民党は、防共を旗印に北上していたが途中で張作霖(ちょうさくりん)の子供張学良(ちょうがくりょう)に捕えられて、幽閉されてしまった。その時中に入って仲裁したのが周恩来て、周恩来は蒋介石に日本と戦をするよう内諾を得ていたが蒋介石がなかなか約束を履行しないので、日本軍に発砲という非常手段取ったものと思われる。

蒋介石の民党軍と毛沢東の中共軍は協力しあって日本軍とたたかったが、昭和20年8月15 日終戦を迎えて蒋介石の国民党が重慶から南京に戻ったと思う間もなく、中共軍と内戦が始まりあれよあれよという間に、中国本土から追われて台湾に逃げ台湾政府を樹立した。

蒋介石軍の逃走は目を見張るばかりの早さであった。

しかし蔣介石総統は彼を幽閉をした張学良を台湾に引き連れて行き台湾で一生涯幽閉している。

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