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2010年6月17日 (木)

山中鹿之介

山中鹿之介

山中鹿之介は、出雲の国富田城主尼子氏の家来で、出陣するに当たり大きな鹿の角と三日月の兜をかぶり武功をあげ、三日月の夜は、月に向かって「願わくは、我に七難八苦を与え給え」と祈った。

小学校の唱歌の教科書の忍耐という科目で「世を流れての末遂に、海となるべき山水も、しばし木の葉の下くぐるなり、見よ忍ぶなり山水も。身に降りかかる憂きことの、なおこの上に積れかし、限りある身の力試さん、いざ試みん身の力」という山中鹿之介の歌がある。

 難攻不落を誇った月山(がつさん)富田城も毛利の軍勢に攻められて落城し、城主尼子義久は毛利軍に安芸に送られ幽閉され、山陰、山陽十一カ国の覇者尼子はここに滅亡した。苦節の末鹿之は、尼子の血筋で出家していた人を還族させて勝久と名乗らせ、主家再興ののろしを上げるも失敗した。三度目は、毛利と敵対している織田信長を頼り中国攻めの秀吉軍とし共に播磨に下り秀吉が落とした考上月城を守るも毛利の大軍に包囲されしまう。秀吉は三木城を包囲中でぁったが急きょ応援に向かうとともに、信長に応援を求めると信長は上月城の放棄を命じ、上月城は落城し勝久は切腹し鹿之介は捕えられてしまった。

小学校の国語の教科書の山中鹿之介では、主家再興に努力する鹿之介を称賛し、合戦では敵の豪傑と一騎打ちして、鹿之介が敵を投げうち首を切るところまで記述していた。

上月城らくじょうでは尼子勝久が「いたずらに朽ち果てたかもしれぬ私が、一時でも尼子の城主になれたのは、ひとえに汝のおかげである」と言及していた。

最後のこ甲部川の渡しでは毛利軍に鹿之介が捕えられて護送され甲部川にさし掛かっり毛利軍に首をはねられる所で終わっていた。

まさに「山中鹿之介の生涯は七難八苦の一生」であった。

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