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2010年6月22日 (火)

小泉信三

小泉信三

小泉信三は、慶応義塾の塾長であったことは周知の事実である。戦時中春陽堂出版の明治大正文学全集の水上た幾滝太郎(本名阿部章蔵、明治生命の重役)<の小説を読んで、水上と小泉は小学校(慶応の幼稚舎)で一時同級で、後別れるも、中学校(慶応の普通部)も同級となり慶応義塾でまた同級生になり無二の親友となていること、しかも信三の父信吉と章蔵の父泰蔵はともに慶応で福沢諭吉の薫陶を受けていたと云う事を知った。

そればかりか小泉信三夫人は阿部泰蔵の妹であった。

学徒出陣に際しては、最後の野球早慶戦を早稲田の安部磯雄と小泉信三の計らいで実施した。

小泉信三には幻の名著「海軍主計大尉小泉信吉」がある。なぜ幻の名著かというかというと今次大戦で信吉が戦死した際、親しい人に配布して終わってしまっていてたからである。後年文藝春秋で公刊し私も入手した。

息子信吉は、慶応を卒業して、三菱銀行に勤務すること四カ月海軍軍人となって一年二カ月であった。小泉著の頭記本によれば、戦死の電報は海軍省軍事局長名であり、後日連合艦隊司令長官山本五十六からも小泉、以来公式の場に出ることを控えていた。しかし皇太子(今上天皇)の傳育官になって公にも顔を出すようになった。

私が会社の出張で超音波震動子の計測をするため東工大の実吉教授(後の東工大学長)へ行くと学生が使っており、たまたま研究室にいた武蔵工大の助教授が「武蔵工大ではあいているから武蔵工大へ行っては***」と云われ武蔵小山の駅を降りると、号外が配られて「皇太子ご成婚なる」というものであった。

皇太子と正田美智子さんとの婚約を報じていた。日清製粉の社長の令嬢とか
そこで阪大総長に正田という人がいたがと頭をよぎった。阪大の正田総長は美智子さんの伯父と知った。

帰社すると「上司が皇太子も目が有るなあ」とつぶやいていた。

この皇太子のご成婚の陰の功労者は小泉信三である。当時貴族社会で最も発言力が有ったのは、松平恒夫衆議院議長夫人(秩父宮勢津子妃は令嬢)で、小泉信三は松平夫人の反対を恐れて、秘密裏に事を運んでいた。

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