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2010年6月18日 (金)

しはしば、墓地購入勧誘の電話がかかってくる。我が家には、郷里のお寺にお墓があって、お墓の必要性を感じないのですぐ「結構です」と云ってことわっている。

お墓は作っても自己満足になるだけで、早晩無縁仏になってしまうのでその必要性は少ないとおもっている。

世の家系を見ても何代も直系の家系が続いた例は少ない。皇族でも有栖川宮家は絶え、昭和天皇の弟宮高松宮(有栖川宮の旧称)が、有栖川宮の祭祀を継承したがその高松宮も跡取りがおらず断絶してしい、墓守をする人がいなくなってしまった。

将軍徳川家も十五代続くも、四代で直系は絶え五代、六代は養子で、八代、十一代十四代、十五代と養子が続く。

このように養子を迎えて家の墓守が続いていた。しかし現在は貴族や金持ちなら養子が来るが、我々貧乏人にはどうかな。

昔穏やかな時代は、家長には招集令状がこなく、徴兵逃れに養子に行く人も多かったが現在は無理であろう。

私ごとになるが、息子は子供がいなく、息子の代で墓守はいなくなってしまう。

戦前佐竹所有の三十六歌仙という和歌の書かれた絵が売りに出され、三井の大番頭益田孝が音どを取って、三十六歌仙を一冊買う人は現れないだろうと一人づつに切り裂き、金持ちに売りつけた。

NHKばらばらの三十六歌仙は何枚残存しているか後をたどってみると、戦災を逃れて佐竹三十六歌仙は三十六人分の無のが判明した。そこでNHKではそれを本にまとめて発行した。本の発行前に秋田の佐竹の子孫を尋ねると佐竹の当主が「私には子供がいないので早晩我が家は耐えるでしょう」と言っていたが、本を発行した時には佐竹の当主は亡くなっていたと書いてあった。

名門佐竹家のことだからきっと養子が後を守って行くので有ろう。

昔お盆に墓参りした時、お袋が「隣のお墓は家が絶えて無縁仏になってしまった」と云って共に線香をたむけていたことを記憶している。

墓の必要性のない例として、徳川将軍家ゆかりのお墓は、上野の寛永寺、芝の増上寺、後楽園の伝通寺と各所にあったが、徳川家だけでは維持できなくなり芝の増上寺の徳川のお墓は整備縮小され、現在は東京タワーの一部になってしまった。

また鎌倉の光明寺の日向の内藤家のお墓は、光明寺の一角を占め林のように林立して名所として紹介されていたが、ある時蘇のお墓が取り払われていた。

理由は内藤家も維持しきれなくなり、日向の内藤家の菩提寺に移転したとの事であった。

なお光明寺は浄土宗の本山で、戦後三枝博音ら鎌倉文壇の文士たちが音頭を取って鎌倉アカデミアという自由大学(鎌倉大学校)を設立し光明寺で授業をしていたが、財政難で廃校になてしまった。

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コメント

歴史上の名家でも直系子孫の方で
続いている例は少ないのかも知れませんね。

投稿: しゃけ | 2011年3月24日 (木) 13時01分

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