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2010年6月19日 (土)

徳富蘇峰-歴史観

徳富蘇峰

広辞苑には、徳富蘇峰をジャーナリスト・著述業。名は猪一郎。肥後の生まれ。蘆花の兄。と紹介している。

素峰はライフワークとして、「近世日本国民史」を書いて戦前文化勲章の第一回を受賞している。

「近世日本国民史」は、織田・豊臣時代から書き始めて、「明治天皇御宇史(ぎょうし)」六十二冊目の「明治維新と江戸幕府(一)」の巻頭で、[「明治天皇御宇史」を知らんと欲せれば、まず「孝明天皇御宇史」をしらねばならぬ。而して「孝明天皇御宇史〕を知るには、徳川時代を知らねばならぬ。徳川時代を知るには織田・豊臣時代をしらねばならぬ。而して徳川時代は、要するに織田・豊臣時代の相続者であり、ある程度までは踏襲者(とうしゅうしゃ)であり、模倣者(もほうしゃ)であるからにはいきおいさかのぼる必要があるためだ。なお織田氏を知るには、戦国時代を知る必要あり、少なくとも明治維新史の筆を起こすには、建武の中興史よりするが適当であることは承知の上であったがそれでは際限もなきをもって、織田氏時代より始めた]と書いている。

即ち曾こ峰の歴史観は、歴史は断片的なものでなく過去とのつながりの上になっている。従って現在は過去のつながりであり、歴史は過去を知らなければならぬと云う観点から歴史を見ている。

しかし、終戦の年素峰は文化勲章の受賞を辞退している。

逗子の高台に蘓峰の弟徳富蘆花の記念館がある。蘆花記念館は、十六代将軍に当たる徳川家達の別荘で蘆花は、ここに住んで不如帰(ほととぎす)」「自然と人生」など書いていた。「自然と人生」は教科書にも載っていた。

蘓峰と蘆花を仲が悪く和解したのは蘆花の死の床であったと云う。

蘆花記念館を見学した帰り道近くの道路に面いたら「徳富」の名の家があった。

多分蘓峰の子孫が住んでいるのであろう。

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