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2010年4月 2日 (金)

商事会社の変遷

商事会社の変遷

進駐軍が民間会社に対して先ずやったことは、財閥の解体である。財閥から放出された株券は、当時トラック何台分にもなるとささやかれた。

三菱本社四代目の社長岩崎小弥太は、病床に伏せながら会社は儲かっているので「株主には配当をするように」指示しその要求が許可されたと思って安心して死亡するが、進駐軍の命令でから手形に終わってしまった。

進駐軍はかっての貿易摩擦の張本人、三井物産と三菱商事を目の敵にし両社の本店の課長以上の人が二人以上で作った会社は認めなかった。

そこで三井物産と三菱商事は各々二百数十社に分離した。

財閥解体に伴って、会社の頭に財閥の名前を付けることを禁じ、三井銀行は帝国銀行、三菱銀行は千代田銀行、住友銀行は大阪銀行、安田銀行は富士銀行、横浜正金銀行は東京銀行を名乗らせ、三菱重工は三に分け東日本重工、中日本重工、西日本重工とした。帝国銀行は、平沢事件の帝銀事件で有名な銀行である。

三菱鉛筆は鉛筆の三菱のマークの横に「当社は財閥と関係ありません」と印刷し「何故」と不思議に思ったが、後で本当に関係がないのを知り名前とマークを実用新案かで取得し利用価値のある時は利用し、価値がなくなると逆宣伝に終始する商魂丸出しだと思った。

財閥関係でただ一社社名を変えずに済んだのは、三菱電機であった。三菱電機は戦前戦後米国の「ウェスチング・ハウス社」と技術提携しており、時あたかも朝鮮動乱で出兵して電気品の調達、修理に間に合わなくなり、戦前の恩義に感じた「ウェスチング・ハウス社」が米軍を動かし、日本で部品調達や修理を三菱電機にさせ名前も変更せずに済んだ稀な例である。

時代も落ち着いてくると、旧財閥系会社は、財閥とは関係なくなったが、元の名前に復帰したが、富士銀行だけは名前を変えてから銀行が好成績であったのでそのまま富士銀行を継いだ。

東、中、西日本重工に分かれていた会社は元の三菱重工に戻った。

また三菱商事も二百社以上に分かれていた会社を次々と吸収合併し元の姿に戻ったが、三井物産だけは乗り遅れていた。しかし向井蔵人が蔵相の時元の三井物産に戻って現在に至っている。

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