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2010年4月 4日 (日)

左に高き大銀杏

左に高き大銀杏

「上るや石のきざはしの、左に高き大銀杏、問わばや遠き世々の跡」は、小学唱歌「鎌倉」の一節である。我々が習った歴史では、北条義時にそそのかされ、八幡宮の石段の左に高い大銀杏の陰に「公暁」が隠れていて、将軍源実朝を暗殺し三浦義村を頼ったF100003314 F100003718 F100003819 F100003920 が、三浦に刺殺され源氏は滅亡した。となっていたが、作家の永井路子はこれに異論を唱え実朝の乳母(めのと)である北条が実朝暗殺に手を貸すはずがない。むし公暁の乳母である三浦が、公暁をそそのかして実朝を殺させたが、都 合が悪くなって公暁までも殺したのが真実だと唱え現在ではこの説F10000253 F100002412 が認められている。

その大銀杏が先日の大風で根こそぎ倒れ、現在は接ぎ木をして再生待ちと聞いていたので段葛(だんかづら)の桜見物がてら八幡宮に足を延ばしてみた。

石段の左は、大銀杏の根っこの一部とソの下の左側に倒れた銀杏の木の上の部分を大半切断した大樹の下部が立っていた。しかし接ぎ木のあとがないので、社務所の職員に尋ねると、継ぎ木はしなくても根の一部が生きていてそこから銀杏が芽吹いていたのでそのままにしてある。との返事であった。八百年以上する大銀杏の生命力に感心して来た。

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