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2010年4月 1日 (木)

戦中戦後の映画会社の変遷

映画会社の変遷

戦前の映画会社は、松竹、東宝、新興キネマなど弱小会社が多かった。

軍は戦争遂行のため、これらの会社を松竹、東宝の二社に統合しようともくろんだ。

松竹は、白井松次郎と大谷竹次郎の兄弟が作り、名前の頭文字を取って松竹としていた。

軍の計画で失職してしまう永田雅一は松竹の社長大谷竹次郎に泣きつくと大谷は「うちの撮影所長にしてやる」と答えたが、当時松竹の撮影所長は城戸四郎という娘婿であり、城戸がいる間自分の居場所がないと悟った永田は軍と交渉し松竹、東宝の二社のほかに弱小会社の一社を加え三社にする約束をさせた。

この一社を大日本映画会社(大映)とし、文壇の大御所菊池寛を社長にし、永田は副社長に納まった。

戦後吉川英二を文壇の大御所と呼ぶが、戦前の菊池寛の足元にも及ばない。

菊池は、芥川竜之介、久米正雄とともに純文学で活躍するが、純文学で清貧に甘んじるか、大衆文学に進み金儲けをするかと考え後者を選び、大衆文学を数々書き雑誌社「文芸春秋」を作り、現在も続いている「芥川賞、直木賞」を発案し文壇に寄与するとともに無名の作家志望者の資金的援助もした。

川端康成も菊池に金の無心をすると何も云わずに百円と菊池の住まいを提供したと云う。

直木は菊池に無心し菊池が東京から京都へ出かけ、駅を降りると直木は一等車に乗り大勢の女性に囲まれて下車し、それを見た菊池は「金を貸した俺が三等車で、借りた彼が一等車とは***」と怒ったとか。

戦後菊池は戦時中軍に協力したというかどで、公職を追放され永田が大映の社長となった。それ以後の永田のワンマンぶりは有名である。

映画会社は、東宝は労働運動で、ストライキを繰り返し困った会社は、新東宝を作り映画製作を続け、その後日活、東映と現在の映画会社になった。

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