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2010年4月 6日 (火)

己を知る者のために死す

己を知る者のために死す

「男子は己を知る者のために死す」乃木大将は、軍神に祭られたが武人と云うよりは、玉木文之進の薫陶よろしき文人である。そのよい例として森鴎外とも親交があッて、鴎外が小倉の師団に左遷されたときには、駅頭の陰でこっそり鴎外を見送っていると云う。

「山川草木(さんせんそうもく)うたた荒涼(こうりょう)十里風はなまぐさし、新戦場征馬(せいば)進まず人語らず、錦州城外斜陽に立つ」(山も川も荒れすたれて十里四方は生臭い風が吹いている新戦場、馬も進まず人も話をしない錦州城外の夕陽に向かって立っていると)という格調の高い漢詩である。ここで乃木大将の次男保典(やすすけ)が戦死している。

軍の上層部は乃木の第三軍が旅順攻略の成果が上がらず戦死者が続出するので、明治天皇に乃木の更迭を進言すると明治天皇は「そのようなことをすれば、乃木は死ぬぞ」と許可しなかったという。

天草の乱の時の総大将板倉重宗は、総大将が松平信綱に変わるため出陣してくると、敵陣に攻め込んで戦死してしまった故事を思いだされたのであろう。

凱旋の時各将軍たちは意気揚々と帰還するが、乃木はこそこそと帰り、宮中に参内し「兵士たちはよく戦ったが、多くの部下を失って申し訳なかった」と涙をたれ流しながら奏上し、周りの人たちは一人去り二人去りと最後は明治天皇と乃木だけになったと云う。

「皇師(こうし)百万強虜(きょうりょ)を征す、野戦攻城(こうじょう)屍(しかばね)山をなす、愧(はず)我何の顔(かんばせ)ありて父老(ふろう)に看(まみ)えん、凱歌(がいか)今日幾人か還る」(日本軍は、ロシア軍を破り、野戦の城攻めでしかばねが山のようになった、恥ずかしくて自分はどんな顔をして兵士たちの老いた両親に会うことが出来ようか、凱旋の今日幾人の人が帰って来たのか)と。これが凱旋の時の漢詩である。明治天皇は、乃木のただならぬ気配を感じ、「乃木にはこれから重大な任務を与えるから暫く待つように」と云い皇孫殿下(昭和天皇と秩父宮)の通う学習院の院長を命じた。

乃木は明治天皇の熱い信頼に感謝しており、天皇の御大葬の日に自殺した。

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