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2010年4月 9日 (金)

四なのに埋もれた人-吉良義周

吉良義周(よしちか)

吉良家は高家筆頭で幕府の儀式を指南する役目である。吉良家は室町幕府の将軍足利の一族で、三河の吉良の領主である。

忠臣蔵で悪名高い吉良上野介吉央(よしひさ)の奥方は、上杉家から嫁いでいた。たまたま上杉家は、嗣子がおらずお家断絶の危機にさらされた時、保科正之と吉良義央の口利きでお家断絶がまぬかれ、義央の息子綱憲が上杉の養子となり、その子義周は義央の養子になった。即ち吉良義央の孫が養子となって義周を名乗った。赤穂浪士の討ち入りの時、義周は「父が襲われた時父を救わず逃げるとは卑怯不届きだ」と領地没収の上、信州高島藩へお預けとなった。

義周は気が弱く絵を描く紙も欲しいと云えなかったという。体も弱くこの地で三年暮らし元江戸家老左右田孫兵衛に看取られて寂しく死んだ。

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