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2010年3月 9日 (火)

五浦(いづら)と西山荘

五浦

五浦は岡倉天心が東京美術学校(現東京芸術大学)を追われて、橋本雅邦の門下生の四天王の三名横山大観・下村観山・菱田春草を引き連れて籠り、日本芸術院を立ち上げたことで有名である。以前国道六号線を走っていて海岸端に五浦の六角堂を  見て何時かは訪れて見たいと思っていた。P52900203_2P502000812_2   

この度念願がかなって五浦ホテルに泊まることが出来た。しかしこのホテルが出来たため国道沿いからは六角堂は見えず、現在は入場料の取る記念館になってい

P52900185_3 P422002312_2          ため着いた日は入れず翌日は出発時間は入館時間より  遅いので入館出来なかった。

そこでお土産用の包袋の絵を添えておいた。

西山荘

西山荘は水戸黄門こと徳川光圀の隠居所である。水戸黄門の講談、テレビでは黄門漫遊記を面白おかしく書いたり、演じているが黄門は生涯旅をしたのは水戸から江戸への出府と帰国の時だけである。漫遊記の元になったのは第日本史を編纂するに当たり家来を各地に送って調べさせたり、楠正成の功績をたたえるため神戸の湊川神社に「嗚呼忠臣楠子之墓(ああちゅうしんなんしのはか)」を建てたことによる。正成の墓は現在湊川神社の鳥居に向かって右側にある。

P529000813P529000714 P529000516_2 P529000318_2西山荘 P529000417 

は水戸三十五万石の隠居所としては質素である。光圀は晩年になって無礼打ちを している。これは講談でも語られているが、水戸より江戸に出府し能を舞うと称して脇役に家老藤井紋太夫を置き長らく待たせた直後無礼打ちにし家来に紋太夫の家から書簡を持ち帰らせ読まずに焼却してしまった。中を読めば家来が疑心暗鬼になるのを読まずに焼却し謀反を未然に防ぎ帰国した。

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