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2010年3月16日 (火)

松下村塾は誰が作ったか?

松下村塾

松下村塾と言えば十中八九が吉田松陰が作った私塾と答えるが、さにあらずで広辞苑よれば吉田松陰が叔父玉木文之進のあとを受け継いで安政三年から主宰した私塾。高杉晋作、久坂玄端、前原一誠、伊藤博文、品川弥二郎らを輩出。となっている。

吉田松陰がいかに傑出した人物でも二三カ月の教育では人々を感化出来ない。吉田松陰の前も後も玉木文之進が教育している。

玉木家と乃木家は親戚同士で、乃木は子供の頃江戸から萩へ玉木を頼って家出をしている。しかし玉木は弟子にすることを断わり、乃木は一年間百姓の手伝いをしてやっと許されて弟子となった。

乃木の弟真人は玉木家に養子に入って玉木正宜と名乗っている。元参議前原一誠は征韓論で西郷とともに下野し、西南戦争の前に萩の乱を起こそうとして、真人は乃木を味方に引き込もうと説得する。前原一誠は新潟県知事時代年貢を半減という大胆な政治も行っている。

文人乃木は「去年より今年の秋はものうけれ、またくる年はいや勝るらむ」と心の内を語っている。その通り萩の乱で乃木の弟は戦死し、恩師玉木文之進は賊軍を大勢出してしまって申し訳ないと先祖の墓前で割腹自殺をしている。
四五十年前大阪の商工会議所の会頭に杉百合之助という人がいたが、名を尋ねられると吉田松陰の生まれた家と答えていると。事実松陰は会頭の先祖の杉百合之助の次男で叔父吉田賢良の養子となり吉田寅次郎をなのた。鎌倉の瑞泉寺の和尚も松陰の叔父で瑞泉寺にも逗留している。

なお乃木は軍人としては珍しく、四回も休職して復帰を繰り返している。これも長州の軍閥が吉田松陰に配慮したためであろうか。

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