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2010年3月 6日 (土)

建長寺と円覚寺

建長寺

「建長・円覚古寺の、山門高く松風に、昔の音やこもるらん」は小学唱歌「鎌倉」の最後の歌詞である。建長寺は臨済宗で山号は巨福山と云い、北条時頼(最明寺)宋からの亡命僧蘭渓道隆を開山として創建し臨済宗の五山の第一位である。

Pa1600011Pa16000678_4Pa16000556_2Pa16000810  Pa16001214 最明寺時頼は小学国語読本にも載っていて

子供の頃執権の妻であり母から障子の張り替えに切り張りをして倹約の大切さ教わり、長じて執権になっても母の教えを守り或る晩酒が飲みたくなったと重臣を呼んで勝手から 一つまみの味噌を出しそれを魚に一献酌み交わしたという。北条時宗は、時宗は時頼の子である。また建長寺は「けんちん汁」でも有名である 

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円覚寺

円覚寺は山号を瑞鹿山と呼び北条時宗の開創、開山は宋の亡命僧無学祖元で鎌倉五山の第二位である。無学祖元は時宗を我が子のように育て来るべき元寇に備えさせた。

円覚寺はJR横須賀線の通路に当たり当時横須賀は鎮守府(ちんじゅふ)(軍港)が有ったため境内を横切って横須賀線が走っている。踏切を渡ると円覚寺の門がある。関東大震災の頃は門が藁屋根で、地震で門は崩れただ藁屋根だけが通路に落ちている写真を見た。 関東大震災の震源地は大磯で地震だけの被害が大きかったのは神奈    

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          川県横浜市、鎌倉市等であったという。また夏目漱石が円覚寺へこも   って修行したが遂に悟ることが出来ずに下山したことは漱石の小説「門」にもかかれている。  下図は漱石がこもった塔頭(たっちゅう)門である。

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民放のテレビ時代劇「水戸黄門」が主役、脇役が何度も変わっても続いているがもう一つ続いているものに「水戸黄門」のタイトルであるが当初から変わらぬものは元円覚寺住職「朝比奈宗源」の書である。                  

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