« 一ッ目が欲しい | トップページ | 戦中戦後の映画会社の変遷 »

2010年3月31日 (水)

戦中戦後の電力会社の変遷

電力会社の変遷

戦前は、電気の配電会社は地区ごとに東京電灯、大阪電灯、名古屋電灯、長野電灯のように細かく分類され、電力会社もたとえば大同電力、東邦電力、梓川電力のように別れていた。しかし軍部は戦争遂行の上で不都合とみて配電会社は、八配電会社に統合し、電力会社は一社にした。

八配電会社は、北から北海道配電、東北配電、関東配電、中部配電、関西配電、中国配電、四国配電、九州配電で、電力会社は、日本発送電一社とした。

長野電灯も中部配電に吸収されるとき、土地を国に寄付して官立長野工専(現信州大学工学部)を誘致した。

戦後電力再編成で日本発送電総裁の小坂順三と電力の鬼松永安左衛門とが争奪戦を繰り返し遂に松永が勝利者となり、日本発送電は解体し、各配電会社に電力会社を付けて、北海道電力、東北電力、東京電力、中部電力、関西電力、中国電力、四国電力、九州電力の九電力と新しい発電所を作る電源開発一社となった。

電源開発が作った発電所は新技術を導入した佐久間ダムであり、関西電力が作ったのは映画「黒部の太陽」で有名な黒部ダムである。

今日の電力会社は松永安左衛門の恩恵といえよう。

長野県の大町から黒部ダムへ通ずるトンネルと壮大な黒部ダムの景観と富山県の宇奈月渓谷のトロッコ電車は、ダムを作る時の機材を運びや、冬季に人が歩くトンネル道となっているのを観光に提供しているがそのスケール大きさには感心する。

|

« 一ッ目が欲しい | トップページ | 戦中戦後の映画会社の変遷 »

歴史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1320966/34017493

この記事へのトラックバック一覧です: 戦中戦後の電力会社の変遷:

« 一ッ目が欲しい | トップページ | 戦中戦後の映画会社の変遷 »