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2010年3月13日 (土)

サイパン

サイパン

私と中学同期の友に「サイパン」と云うあだ名の男がいた。彼はサイパン島から当時の金千円を持って単独で親戚の化学の先生を頼ってきた。

サイパンは第一次世界大戦に日本が参戦し、ドイツから委任統治としてまかされた日本領であった。日本の委任統治はマリアナ諸島、マーシャル諸島、カロリン諸島、パラオ諸島などが含まれ、ただガム島だけは米国領であった。

「私のラバーさん酋長の娘、色は黒いが南洋じゃ美人、赤道直下マーシャル群島、踊れ踊れ踊らぬ奴に、誰がお嫁に行くものか」という歌がはやっていた。

南洋の測候所の所長として親父が転勤し、私の小学校に転校してきた男性がいた。彼は南洋育ちのせいか色が黒く丸顔のかわいい子で、彼の妹も色が黒かった。

後年同級会で彼の思い出話をしていた時、彼の父親は黒人であったと聞かされ色が黒かったことに納得した。

サイパンとは同級になったことはないが、部活は弓道部に属していて毎日顔を合わせていた。サイパン陥落の日彼は家族の安否を心配していたが、慰める言葉もなかった。しかも彼の頼って来た親戚の化学の教師も病気で亡くなってしまった。

後に彼から聞いた話では、戦後インフレで物価は上がり、金の価値が急激に下落してサイパンから持ってきた金も底をつき彼は学校をやめようと、教師たちに相談したところ教師たちは皆中学を修了するまではやめるなと云い、彼が闇で買って持ち運んできた米を各自の先生がこっそり買ってくれ、試験の前日には試験に出そうな問題を教えてくれたと云う。

戦後一時期中学の剣道場のガラス窓が破損されていていた。なぜかと疑問に思っていたがサイパンの友達の一人が一緒にガラス窓を盗んで街で売り、自分は僅か取って共犯になり、残りはすべてサイパンに譲り、お陰で助かったと漏らしていた。これも友情の変形というべきか。

サイパンは中学を修了して、自衛隊へ入隊し下士官になっていた。自衛隊では経理担当であった。「自衛隊の戦史でも米国の記録でも、我々の中学の先輩で硫黄島の最高司令長官栗林中将(戦死して大将に昇進)が玉砕した硫黄島の戦が日米両軍で最大の犠牲者が出ている」と云っていた。

しかも彼が心配していた家族は親父は亡くなったが、お袋と妹は無事であった。

下士官の定年は早く四十代で再就職の心配をしていたが、無理がたたったのか若死にしてしまった。

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