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2010年3月17日 (水)

鎌倉幕府執権邸跡

幕府執権邸跡

鶴ヶ岡八幡宮の三の鳥居に向かって右側の突き当りに宝戒寺という秋には萩の花が咲き誇る寺ががある。ここは執権北条の邸跡で、新田義貞の鎌倉攻めの時、北条高時は邸に火を付け裏山の「高時腹切り櫓で一族郎党とともに切腹して果てたと伝えられている。

信州塩田の北条国時、俊時親子も「すわ鎌倉」と鎌倉に駆けつけ「高時腹切り櫓」で運命を共にした。

F100001510F100001489 「高時 腹切り櫓」は円形の大地に谷戸があり、そこに卒塔婆が何本かある質素なもので此処で切腹したのでは寂し過ぎる感のある場所である。栄枯盛衰は世の習いか。

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