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2010年3月22日 (月)

唐人お吉-実在しなかった

唐人お吉 

伊豆の下田の玉泉寺へ行くと案内人がとうとうと「唐人お吉」の生涯を見て来たように語っている。昔「講釈師、見て来たようなうそを言い」と云われたがまさにその通りである。

玉泉寺はアメリカ総領事ハリスが日米通商条約を結ぶため日本で最初の領事館を置き星条旗を上げたところである。唐人お吉はハリスの侍女として仕え後に解雇され、川の淵に身を投げたと云う女性である。

広辞苑は「アメリカ総領事ハリスの侍女。伊豆下田の船大工の娘。しかも年表まで載せ下田で投身自殺。唐人お吉」と書かれている。

しかし昔見た実話全集では「唐人お吉」の実在を調べるため作家村松松風ら数人で下田に行き「お吉」の時代を知っている古老に合って聞き歩いたが、お吉が実在したと云う証拠はなく、お吉は実在しなかったという結論に達していた。

「ハリスが病気になった時、三日間だけ看病してハリスに付き添った船大工の娘はいるが、ハリスの妾としてではなかった。更にハリスは敬虔なクリスチャンで妾を持つような人佛ではない」ハリスの通訳ヒュースケンは女たらしで彼ならばそのようなことはあったかもしれない。

しかし「唐人お吉」のような運命をたどった人はいたと思うが、世間で言われているハリスの侍女「唐人お吉」はいなかったという結論である。人のうわさも怖いもので何時の間にか架空のり人物が実在の人物になってしまった。

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コメント

お吉の菩提寺である宝福寺を訪ねて下さい。ここには確かに存在していたという過去帳もあります。この寺の当時の住職は、お吉の遺体を引き取ったばかりに38年間も下田を追放されています。体を壊して帰郷を許された住職の枕元で話を聞いた下田の医師、村松春水が「唐人お吉」を最初に世に出した人物です。お吉の事は下田にとって不名誉な事であり、政治的な事もあってか、居なかった事にしようという力が働いた事は事実です。あの新渡戸稲造氏もアメリカで「お吉は存在しなかった」という論文を発表しましたが、事実であるかないかが心配となり、同様に下田の古老に聞いて回っています。(この辺が今の政治家と違って偉いところだと思います)結果、実在した人物であり、物語と違い、しかも聡明で立派な方であったとして、お吉が身を投げた「お吉ヶ淵」のところに、自らがお吉を思った句を刻んだお地蔵様を寄贈し、今も残っています。お吉さんが亡くなって120年経ちます。物語は誇張があり、私が知っているご老人がその親から聞き伝えられた話だと「孤独な人には違いなかったけど、お酒飲みではなかった」とも言っていました。その時代に生きている人間がいない今、個人の見解を断定的に否定する権利も、そのつもりもありませんでしたが、私は下田の人間として、個人的に調べた人間として「実在しなかった」という言葉が余りにも悲しく感じましたので、失礼ながらコメントさせて頂きました。どうかご理解下さい。長々とすいません。(お吉さんが龍馬が活躍した時代と同時期、京の祇園で開国運動をしていたという言い伝えも余り知られていません。ただの悲劇の人でないとも思っています)

投稿: | 2010年5月 4日 (火) 09時26分

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