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2010年2月 8日 (月)

鎌倉の府

  • 鎌倉の府

鎌倉は現在観光地として賑っているが、現在の神社・仏閣は総て鎌倉時代末期以降に再建されたものである。小学唱歌「鎌倉」の「七里ガ浜の磯伝い、稲村ケ崎名将の、剣投ぜし古戦場」と歌われた、元弘の乱の新田義貞の鎌倉攻めで総て消失してしまった。

しかも人々は全滅し現在でも地下から男女や子供の刀傷のある人骨が出土すると言う。

大町桂月(1869ー19259)は、広辞苑によれば詩人・評論家で紀行,修養などの文章を多作したとある。彼の文「行雲流水」の一節か名文であるので子供のころから諳んじていたが、一部忘れていたところがあったが、ブログを書くにあたって徐々に思いだしてきた。「青によし奈良の都は荒れ果てて、鎌倉の府はすたれつくして陰鬼むなしく雨に刻す、時に美人のどくろ鋤黎に触れていづるも、たれか当年の面影を認めん、東流の水流れてまた帰らず、人生の富貴よくいずこにかあらんや」要約すると「鎌倉の都は荒れ果てている。水は流れ去ってまた戻ってこない、人の富や権力も同じようにはかないものだ」と。

この文ように鎌倉ではしばしば刀傷のある人骨が掘り出されていると云う。

鎌倉は明治になるまで寒村であってたとも云う。

関東大震災の鎌倉

P614003116 関東大震災の被害が甚大なのは東京だけと考えている人が多いが関東大震災の震源地は大磯沖で、横浜、鎌倉、大磯の被害は大で、震災の被害を示す写真では、円覚寺の正面の門はかやぶきで門は崩れ落ちてかやぶきの屋根だけが道にぽつんと置かれていた。また鶴ヶ岡八幡宮の石の大鳥居は、中間から折れて無残な姿をさらしていた。

関東大震災で多大な被害者を出した陸軍被服廠跡に建てられた東京都慰霊堂には震災の被害状況を描いた絵画が展示されているが、うち1枚は大磯で列車が転覆し、砂浜に横たわっている無残な絵があつた。

また松方元首相が鎌倉の別荘で圧死したという誤報が流れ、松方の息子で川崎造船の社長が神戸から船で父親を見舞うと松方は家の下敷きになったが、隣家の機転で掘り出され無事であつたと。

松方には有名な逸話が残っている。明治天皇から松方に子供は何人いるか、と尋ねられて即答できず後日ご報告したしますと下がったとか。松方はそれほど子福者であった。

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