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2010年2月 5日 (金)

小栗上野介

小栗上野介

今から数十年前、中央西線で帰省中、大声で話をしている数人の乗客と乗り合わせたことがあった。聞くともなく耳を傾けるとお国自慢で「群馬県からは中曽根康弘という若い代議士がいるが、なかなかの人物で将来総理大臣になる器だ」と。その予言どうり中曽根は首相となった。

話は変わり「新見豊前守とアメリカに渡った小栗上野介も群馬県だ」と云っていたがしかし当時私は新見豊前守も小栗上野介も知らなかったが、妙に両名の名は記憶に残っていた。日米修好条約批准のための使節で正使は新見豊前守、副使は小栗上野介で艦長は勝海舟である。勝は新見に自分を売り込み咸臨丸の艦長になった。勝の手腕に危惧を抱いた新見はアメリカ人ブルック大尉を同乗させ、咸臨丸の操縦を任せた。ほら吹きの勝海舟の自慢話が世に伝わり、咸臨丸は勝海舟により日本人初の太平洋横断に成功したことになった。しかしこれは間違いで、勝は咸臨丸の船底で病気と称して太平洋横断中寝ていたという。このことはブルック大尉の日誌にも書かれ、同乗した福沢諭吉も福翁傳でも認めている。ほら吹きの勝海舟の話が世に伝わり、「勝海舟は咸臨丸の艦長として日本人初の太平洋横断に成功した」となり新見、小栗の名前も消えてしまっている。

これらの事実から勝は軍艦奉行を歴任した咸臨丸の艦長をしたにも関わらず、海軍籍から除かれているという。

一方小栗はアメリカに渡り日本の金が流出する理由は、日本の金と銀との交換の比率が正常でないことを悟り、通貨の交換率を上げ日本に三倍の利益を勝ち取ったという。

小栗は帰国後、外国奉行、勘定奉行、軍艦奉行、陸軍奉行などを歴任し幕府の陸軍を仏式にしたり、造船の必要性を感じ浦賀に製鉄所、造船所を建ている。

この造船所は新政府に引き継がれ浦賀ドックとして最近まで稼働していた。

しかし小栗上野介は、伏見、桃山の戦に敗れた徳川慶喜に主戦論を唱え退けられ上野の国へ隠遁していた。しかし戊辰戦争で進軍して来た政府軍に捕らえられて首をはねられてしまった。

あたら惜しい人物を失ったものだ。

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