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2010年2月 3日 (水)

犬山城

犬山城

全国で国宝の城は、姫路城、彦根城、松本城と犬山城の四っである。その中で犬山城は、木曽川の沿岸の小高い丘の頂上に立つ風光明美な山城である。現在は犬山市の所有であるが、以前は個人の持ち物であった。姫路城は別名白鷺城と呼ばれているが、犬山城は中国の洞帝湖ににたたずむ白帝城にちなんで白帝城とも呼ばれている。

徳川御三家には、それぞれ付け家老がいて、水戸徳川の付け家老は中山備前で、紀州徳川は安藤帯刃、尾張徳川は成瀬正成、それぞれの家老は徳川本家から一万五千石、御三家から一万五千五石をもらい禄高はいずれも三万石であるが大名ではない。犬山城の城主は尾張の付け家老成瀬家である。

今から三十年ほど前NHKのラジオに出演していた東大工学部の成瀬教授は犬山城が成瀬家の個人の所有であるいきさつを述べていた。それによると明治になり犬山城は明治政府に没収されたが財政がひっ迫していた政府は城の修理代の困っていた。それを知った成瀬は成瀬家の所有にしてくれれば修理代を出すといい成瀬家に返還されたという。また成瀬の先祖は家康の末席の家来にすぎなかったからだと笑って話していた。

大阪冬の陣が収まった時家康が大阪城の外堀ばかりでなく内堀も埋めたことで子供心に家康を嫌っていたが、濠を埋めたのは成瀬の先祖だったと語っていた。

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