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2010年2月 4日 (木)

愛親覚羅一族

愛親覚羅奴児*洽赤

「アイシンギョロヌルハチ」を初めて知ったのは中学生の東洋史であった。非常に不思議な名前で鮮明に記憶している。日本語読みでは「あいしんかくら」と読む。「アイシン」とは金で、「ギョロ」は古い由緒ある姓を意味していると広辞苑にあった。ヌルハチは明朝を破って清朝を樹立した初代太宗のことである。

支那は清を表す言葉で英語のchinaは清から派生したという。chinaは清のほかに陶器の意味もある。陶器は支那の主力輸出品であったため付けられた。

*印は当て字で本字は口編に合である。

愛親覚羅*ふ   *ふは傳の人偏の代わりにシずい

傳儀氏は映画のラストエンペラーのことで清朝最後の宣統帝で後の満州国皇帝でもある。ふ儀氏は戦時中大東亜共栄圏会議に来日し、昭和天皇から歓迎された。

しかし戦後戦争犯罪の裁判で裁かれた時、日本の悪口に終始しひんしゅくをかった。

愛親覚羅ふ傑

愛親覚羅ふ傑氏は、満州皇帝ふ儀氏の弟で嵯峨侯爵の姫君と結婚し二女をもうけ長女は慧生という。戦犯では潔かった。釈放後夫人と仲睦まじく余生を送ったという。

愛親覚羅慧生

慧生は戦後伊豆の天城山中で学習院で同級の男性と心中し男性の無理心中だたとささやかれた。

生前慧生は父の釈放を周恩来主席に陳情していたという。

川島芳子

川島芳子は清朝の一族粛親王の子供で、父と義兄弟の支那浪人川島浪速の養女となり浪速の郷里松本に帰り、県立松本高女(現蟻ヶ崎高校)に男装で通い、男装の麗人とさわがれた。後にスパイとなり「東洋のマタハリ」といわれたが、戦後反逆罪に問われて裁かれた。養父川島浪速は友人蒋介石になんども減刑を嘆願するもむなしく銃殺刑に処せらた。遺骨は蒋介石の好意で養父浪速のもとに届けられ松本市の寺に葬られた。

巷間では処刑されたのは身代わりであったともささやかれているが、真偽のほどは分らない。

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