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2010年1月27日 (水)

懐古園、海野宿散策

小諸なる古城

先年秋島崎藤村の詩で有名な小諸の懐古園を散策した。時は紅葉の時期で古城は赤黄で彩られ見事であった。小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ *********

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次は中山道の海野宿である。テレビなどで宿のたたずまいが紹介され、かねてから一度は行ってみたかった場所である。

P10100182 P101002167 P101002495 P101002384 P101002276P102002914P102003217 P102003318 P102003419 P102003520 P102003621  翌日真田十万万石の城下街松代を散策した。真田は大阪夏の陣で徳川家康を追いつめて有名な真田幸村(信繁)の兄信之の家系である。六文銭の紋のある土蔵は、真田の宝物館で、門構え家は旧松代藩士で明治になって松代町長、埴科郡長を務めた横田数馬の家である。数馬の長男秀雄は大審院院長(現最高裁判所長官)を務め後に明治大学の学長を歴任した。秀雄の息子俊夫も戦後最高裁判所の長官になった。二男小松兼次郎は鉄道大臣で、数馬の次女横田英(後に和田英)明治政府が御雇外人を入れ、新しい製糸の機械を導入して作った官立富岡製糸に信州から歩いて行き一等工女となって故郷に錦を飾り、故郷西条村に新しくる製糸工場で製糸技術を指導をするため帰国し、製糸技術の発展に努めた。後年和田英として富岡日記を表し世に富岡勢糸を紹介した。なお西条村は小学唱歌「川中島」で西條山は霧深くと歌われている。

他の画像は松代藩の文武学校である。松代藩の居城海津城は、川中島の合戦のおり武田信玄が築いた城であるが現在は石垣だけが残っている。

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コメント

きれいなもみじですね。家並みも歴史を感じられますね。

それにしても博識でいらっしゃいますね。勉強になります。

投稿: まゆクー | 2010年1月31日 (日) 17時46分

兼ねて海野塾は一度行って見たい場所てした
wit

投稿: まゆクーさん | 2010年2月 9日 (火) 22時20分

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