2012年8月 6日 (月)

覚せい剤

覚せい剤

覚せい剤を辞書で引くと「中枢神経系を興奮させ眠気を抑える薬。塩酸メタンフェタミン(ヒ

ロポン)・硫酸アンフェミンなど。常用すると習慣性となり中毒をおこす」とある。

近年タレントなどが常用して不祥事件をおこし、世間を騒がしている。しかもこの傾向は、若

年にも広まり、社会問題となっている。

われわれの学生時代にも覚せい剤の使用が蔓延していた。

学生会館に同じ大学で専攻科の違う沖縄の留学生がいた。当時沖縄は米国の統治下にあ

った。あるとき彼の部屋に行くと気分がスッキリするからと「覚せい剤」の注射を勧められ

たが、臆病な私は辞退した。以後注射を勧めることはなかった。

後で聞くと彼は、覚せい剤(ヒロポン)の中毒になり、一年休学して沖縄へ帰り治療して復学

し無事大学を卒業し沖縄で就職し、上京の際私を訪ねてきた。

今になっても私が臆病で覚せい剤を打たなくてよかったと思っている。

覚せい剤患者の悪い癖で、常人に覚せい剤を勧めることである。

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2012年4月29日 (日)

中尊寺

中尊寺Img_03851

先日バスツアーで、仙台の奥座敷秋保(あきう)温泉一泊二日で、中尊寺を

詣でてきた。バスは、強行軍で行きは秋保温泉まっしぐらで、翌日は毛寺

(もうつうじ):経由中尊寺を参詣し、他はトイレ休憩と昼食で一路まっしぐらに千二百キロメタ

ー弱を走破する強行軍であった。以前毛越寺を訪れたときは、何もないだだ広いImg_03808 Img_03813 庭園だ

と記憶していたが、寺院やImg_038217 Img_038415 Img_038613 入口の門が整備されていた。

人口池の

園さすがと思はせるもの

あった。次は中尊寺であるが、入口から入らず中尊寺の光堂近くでバスを降り中尊寺を

して回った。Img_039616 Img_039718 Img_04001 光堂は撮影禁止なので、リーフレットからコピーした。

Img_039514_2 Img_041012  帰りは、中尊寺の入り口

で歩い

レストハ

スで昼食にずんだ餅など各種雑煮わ食べて一路岐路に着いた。ああ疲れた。

次回は讃岐の金比羅さんを予定しているというが、あの階段をあるく

のでは遠慮したほうがよさそうだ。

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2011年11月19日 (土)

豪商の屋敷

豪商の屋敷

先日須坂の豪商田中本家の屋敷を見学する機会に恵まれた。

田中本家は、須坂藩一万石の大名堀家の御用商人であった。

堀家は一万石ではあったが、最後の藩主堀直虎は、幕末外国奉行と若年寄を兼ね徳川

慶喜が鳥羽・伏見の戦いに敗れ江戸に帰るや直虎は、慶喜に恭順を勧め入れられずと

るや 諌死している。なお田中本家邸は、何年か前、家をロF1000005131415_2 移動している模様 をテレビ

F10000051234_2F100000112311  放映したり、「お宝拝見なんでも鑑定団で

は、出張鑑定を映じていた。       

田中邸は広大な白壁と土壁で囲まれる豪

邸でさすがはF1000009272829 豪商納得するものであ

った。

豪邸の庭も大層なもので

この秋で最も紅葉が際立

綺麗に見えた。 F1000008242526

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2011年11月16日 (水)

柳宗悦

柳宗悦

戦時中わが中学で、小林前貴族院書記官長の講演らを聞いた。

しかし何を話したのか完全に忘れてしまった。ただ最後の質問のとき民芸について質問し

た人がいた。なんで民芸かと不思議におもった。

後になって小林貴族院書記官長とは、柳宗悦のことと知って納得した。

広辞苑で柳宗悦を引くと「民芸研究家・宗教哲学者」東京生まれ。

東大卒。雑誌「白樺」創刊に加わり、のち民芸運動を提唱。日本民芸館設立。

とあって貴族院書記官長には触れていない。

そこで柳宗悦文庫の略歴を見ると「岡山市生まれ。飯田市の小林家に養子入り貴族院書

記官長となり、民芸運動に・・・・」と書いてあった。

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2011年10月24日 (月)

秋の渋旅行

秋の渋旅行

紅葉の秋は渋温泉一泊旅行に行ってきた。主目的は、草津白根山の火口見学、渋温泉の

9つの外湯めぐり、松川渓谷の紅葉、小布施の北斎館見学、須坂の臥龍公園の菊花展見

学であった。バスは、関越自動車道を通り吾妻渓谷の紅葉を車窓から眺め、工事を差し止

めた八っ場(やんば)ダム工事の残骸を通過した。八つ場ダムは水源池として関東一円の

主都県の貯水地として長年計画しほぼ工事が完了という段階で政府がストップしたもの

で物の損得を無視した暴挙だと思う。草津温泉を横目で眺め草津志賀道路を進む。

F10000094243_3F10000104041_2 草津から白根山へ続く道路の紅葉がまあ見られるもので

あった。白根山の麓に着くとガスでほぼ一寸先が見えな

い状況であった。そこで白根山の火口に上るのは遠慮し

て、白根山記念館で写真や模型を見て回った。

F100000646 F10000035455 F1000004515253

白根山の火口から下山する人が集まる

と早速バスは渋峠へと走った。

渋峠の手前から空は晴れ渡り雲海の彼方

此方に山々が姿を現し何とも言えない姿を醸し出しいた。

F1000014272829 F1000017171819  F1000018141516やっとのことで宿に着いたが、大湯につかり宴会となり

酒が入ると外湯に行く機会がなく、朝は慌

ただしく外湯を回るチャンスを失してバス

は松川渓谷へ出発した。

先ず山田温泉へバスを着けて同乗者を

F1000032333435 F1000033303132  下車させ、バスは松川渓谷の中心部へバスを運んだ。松

川渓谷の紅はF1000035242526 まだ早すぎたようであった。次の目的地

は、小布施で大半の人々は、北斎館で葛

飾北斎の絵画を見学した。北斎館の外で

何枚か写真を撮影したはずであるが、帰っ

て見るとあり撮っていなかった模様。最

後の目的地は、須坂の臥龍公園だ。公園は菊の展示会の初日とあってバスは臨時駐車

場で停泊したため歩く距離が長く四苦八苦の思い出見学してきた。

昼食は、松代の手前で、そばとのことであったが、そばは蒸篭に二枚で大変うまかったが、

ご飯付で、それも栗おこわ飯で非常にうまく、帰りに買って帰り家でも賞味し堪能した。

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2011年10月13日 (木)

誕生日

誕生日

子供のころは、現在のように誕生日を祝う習慣がほとんどなかった。

当時は、年齢を数え年で数えていた。数え年は、大晦日(十二月三十一日)にすべての人

年を一つとる方式てあった。そこで大晦日は、現在の誕生日のようにお祝いされていた。

我が家でも子供の私もこの日ばかりは、浅く小さな杯(現在の杯の十分の一位)にいっぱ

いの酒がふるまわれた。年越しのそばはも大晦日に忙しい商家の習慣であろう。

現在のように歳を満年齢で数えるようになったのは、戦後間もなくである。

元服する武士の慣習は、数え年で十八歳で、現在の満十六七歳で大人として扱われた

る。現在の若者は、十六七歳は洟垂れ小僧である。

白虎隊の少年は、元服前の数え年十五歳から十七歳の少年で満年齢で十三歳から十

歳の若さであった。

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2011年9月27日 (火)

法要と母校訪問

法要と母校訪問

翌日は、大本願で物故者の法要である。法要の参列者は 三十数名になった。

F100000356_2 F10000071314_2 大本願の境内には、松尾芭蕉の句碑「月影や四門四宗も

だ一つ」善光寺は、宗旨にこだわらない寺であると詠っ

ている。

本殿で鷹司上人のお経で法要が始まり終わった。

法要が終わるとお上人さんと記念撮影をした。

 F1000003134567 昼食には、時間もあるので久しぶりに善光寺へ参詣に出かけた。

F10000173435 F10000091718 大本願の隣が仁王門である。

仁王門を少し登ったところに釈迦堂がが

あった。釈迦堂には釈迦の涅槃像がま

つられている。

さらに進むと山門だ。

善光寺に向かって左側が大勧進である。大勧進を突き抜けて門を出ると蓮池を通じて

F10000122324 F10000132526

F10000153031F10000204041  山門が見える。

大本願のま迎えの淵之

坊で昼食の精進料理を

食べる。

食後三々五々車に便乗して母校に向かう。

F10000214243

母校の記念館だけが、昔の正面玄関で後は様変わりして立派になり昔

の面影はなかった。記念館の横の入口に「結婚相談室」という見事な看

板があり何人かの友が、「桜井の字に似ている。いや違う」という意見が

続出したが、たまたま居合わせた桜井に聞くと「俺が書いたのだ」という明

快な答えが帰って来た。そこで会は散会し新幹線で帰った。

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同期会

同期会

日曜日に中学・高校の同期会が、長野で開かれ出席してきた。

長野新幹線が出来てから交通の便は良くなりあっという間に長野に着いた。

長野駅は新幹線になってから模様替えされ、便利になったが、旧の駅舎のような趣はなく

なってしまった。Img_03518 F10000234647 左図は、現在の駅で、その隣は、旧の駅舎の絵である。

旧の駅舎は、善Img_0349456 光寺のりおひざ元ををあらはしてお寺のよ

うな形をした建物となっていた。

同期会午後四時から開かれ、午後八時ま

で続き出席者は五十名弱であった。

鎌倉の光明寺の住職(大僧正)も出席して翌日大本願で物故者の法要をする予定であった

に三日前ににめまいがして医者から安静するよう勧められ当日と翌日は、欠席すること

なっしまった。宴会が終了後同じ場所で二次会が開かれ十時頃まで談笑に明け暮れ

た。宴会が終わって、駅前のホテルに帰って熟睡した。

翌日は物故者の法要が、大本願のお上人さんが、善光寺へ参内する都合から十時から

の予定が九時からに変更になった。

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2011年9月18日 (日)

秋の散策

秋の散策

県人会主催の秋の散策で、浜離宮から水上バスで隅田川を遡り吾妻橋で下船し、東京ス

カイツリーを眺めるというもので、当初は、春の散策で計画していたものが、3月11日の東

大震災で流れたものを復活した旅行であった。Img_03151

JR新橋で下車し、地下鉄の築地駅で築地西本願寺の別院を斜めに見て

築地の場外魚市場を巡り、一軒の店で海鮮料理のバイキングを食べて場

外市場を買い物をし浜離宮を散策した。

Img_03195 浜離宮は、初め五代将軍綱吉の弟甲府宰相綱重の江戸下屋敷であっ

たが、その子綱豊が六代将軍家宣となり、将軍の別邸となったもので、家

が植えた松の木が現在も青々と育っている。

Img_03228Img_032814  Img_032612_2 Img_032915 Img_033016 戦災で焼けたお茶屋も復元してたたずんでいた。

浜離宮か

ら水上バ

Img_033827 Img_034636371 スに乗り築地市場を隅田川から眺め、吾妻橋で下船し、東

京スカイツリーをカメラに収めて帰途についた。

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2011年9月12日 (月)

海江田万里 議員

海江田万里議員

今回民主党の総裁選挙で敗れた、海江田万里議員は、みなさんご存知の幕末桜田門外で、

老井伊直弼を襲った水戸の浪士と行動を共にした、薩摩の浪士有村冶左衛門と兄弟で海

江田家へ養子に入った海江田信義元貴族院議員で枢密院顧問官の子孫だと思っている。

同じ選挙区には、与謝野鉄幹と晶子の子孫の与謝野馨議員がいる。

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